裁判官が、病院の嫌がらせを正当と認めた・問題視しなかった理由

 裁判官が、病院の不法行為を問題視せず、むしろ正当と認めた理由は、非常に単純で分かり易い。
 「脊髄損傷をリハビリで治癒させた」という前代未聞の主張を、全面的に事実と認めたからである。
 
 当初病院が交付した上下肢7級体幹無し身障診断書の軽症記載は、病院への信頼を疑わせるものであった。
 患者から入院記録に反すると指摘され、上肢7級下肢4級体幹無しに訂正したのは良いけれど、これは行政に提出する診断書なのに、安易に記載し、安易に訂正するのは病院として如何なものなのか。
 
 訂正提示された上肢7級下肢4級体幹無し身障診断書には、一部計測項目に空欄があった。
 この空欄理由について、病院は「診療録に記載記録が無かったので、患者が再計測に応じなければ診断書を交付出来ない。」と主張した。これに対して、患者が「空欄箇所はリハビリ対象部位で、診療録に記載が無いのは医師法違反にもなり、記載が無いのは虚偽。事実、訂正前の身障診断書には全項目が記載され、同時期に作成交付した後遺障害診断書には空欄項目部分に正しい計測値が記録されている。カルテ記録が無いという病院主張は虚偽。」と主張すると、病院は地裁準備書面1で、カルテ記録がある事を認めた。
 つまり、故意に診断書一部を空欄にして、患者に再計測を求める病院の意図は、何だったのか。
 病院は「より正確に記載するために、再計測に応じるよう患者に求めた。」というのだが、再計測対象は、障害対象部位・該当等級意見判断とは、直接的に関係せず、再計測を要するまでの正確性は不要であった。
 この病院要求は、患者が訂正上肢7級下肢4級体幹無し身障診断書の空欄再計測に応じて、同診断書の作成記載に自発的に協力して、病院による、上肢7級下肢4級体幹無し診断意見への同意を得ることを目的としていたのは明らかである。
 
 患者として、不要な再計測に応じる意味が不審であったとしても、軽症診断書が下肢4級に訂正されたのであるし、体幹5級相当の総合所見と体幹障害無し診断意見の矛楯については、行政と病院で調整するのだろうから、頑なに、病院の再計測要求を拒否していたわけではない。
 患者の再計測拒否理由は、単純明快、病院による保険金給付妨害である。

 F妻の訂正診断書の再計測の協議をしている際、F夫の胸部変形診断訂正を医師が約束していたにも関わらず、いきなり事務長が保険会社への診断訂正を拒否したのである。
 医師法上、医師には診断書交付義務があるが、交付した診断内容に訂正がある場合も、これに準じている。
 夫婦とは言え、無関係の人間の診断書交付を拒否して、保険金給付を妨害までする権利は病院にはない。
 患者は、当然病院に保険金給付妨害を中止するよう抗議する。これに対して、病院は患者の抗議を無視して「再計測に応じなければ患者が困るだけ」と、保険金給付妨害を継続する意思を示したのである。
 この際、病院は「病院に来るのが嫌なら、自宅に計測に行っても良い。」という提案をしたのは事実だが、患者としては再計測問題より、保険金給付妨害の中止要求を優先した。
 結局、裁判終了まで病院が保険金給付妨害を中止する事は無く、受傷後2年間の保険金給付期間も終了してしまい、患者は保険金を受け取ることが出来なかった。
 
 この病院の脅迫・強要行為を、裁判官が何故問題視しなかったのか。
 F妻の脊髄損傷治癒診断書を認めなかったF夫の診断書交付を拒否をする病院の行為を正当と認めた理由が不明のままである。
 その後、病院はF妻の後遺障害診断書訂正も拒否した。
 
 裁判官は「脊髄損傷をリハビリで治癒させた」という病院主張を、事実と信じ込んでしまっていた。
 従って、脊髄損傷治癒診断書を患者が認めて再計測に応じていれば、診断書が交付されていたのであるから、未交付について病院に責任は無いという判断である。
 しかし、「病院は脊髄損傷治癒が誤りであることに気付いていたから、嫌がらせを開始した」という患者主張は無視された。
 裁判官は「『病院が自宅に計測に行く』とまで言っているのに、患者が計測を拒否した。」と病院の誠意を評価しているが、患者の保険金給付妨害の中止要求を無視し妨害を継続しながらの誠意が何故認められるのか、不明である。
 
 医師には、診断説明や療養指導をする義務がある。
 脊髄損傷治癒を診断したなら、患者に説明し、納得させれば良い。
 それが、何故保険金給付妨害までして 脊髄損傷治癒を認めるよう患者を脅迫するのか。
 この時点で、病院は脊髄損傷治癒診断が誤りであることを、既に気付いていたのである。
 脊髄損傷をリハビリで治癒させるのは医学常識上有り得ない、それでも治癒させたと主張するなら、報道陣を集めて記者会見が行われても良いような国際的なニュースになる症例と、裁判でも患者は主張したが認められなかった。
 
 脊髄損傷治癒診断書の空欄再計測に患者が応じるという事は、脊髄損傷治癒診断書を患者が認め、その内容で障害申請が行われるという事である。
 体幹5級相当の総合所見で、下肢4級を申請することは、刑法違反の虚偽診断書では無いのか。
 患者が3級記載を要求していた事実は、全く無かったにも関わらず、病院が患者を誹謗中傷する虚偽主張を行えば、裁判官はこれを採用し、「患者は下肢4級より高いレベルの申請を要求していた」と認定した。
 しかし、病院が交付した診断書の総合所見で体幹5級相当を記載しているのに、体幹3級を要求していたとする主張根拠自体が存在しない。
 また、病院は、患者が下肢障害と体幹障害を併合申請させて、3級の申請を要求したかのような捏造主張をしていたが、リハビリ医であれば、下肢に単独障害が無いのに、体幹障害との併合申請は認められていない事を知っているので、併合申請を要求されたと主張することも、医師が認定基準を知らなかった証明である。
 患者が、厚労省が併合申請を認めていない旨の通達を例示して、病院主張を否定しても、裁判官は病院主張通り、併合申請を患者が要求していた旨認定した。
 
 病院は、軽症診断書と訂正診断書の2通を書いたが、1通分しか料金を受領していないと主張し、訂正診断書が未交付であるにも関わらず、裁判官は病院の対応を正当と認めた。
 これは、脊髄損傷治癒診断書を認めて、空欄再計測に応じなかった患者に非があると認定したからであるが、脊髄損傷不治を知っている福祉課が、脊髄損傷治癒に固執する病院の対応を考慮して、空欄がある脊髄損傷治癒診断書でも、体幹障害申請として受理する旨配慮してくれたのに、病院が損傷治癒診断書の交付を拒否した事実を全く無視している。
 
 脊髄損傷治癒を裁判官が認定したので、脊髄損傷用薬剤処方を拒否している病院の傷害行為が正当と認定されてしまった。
 医師法上、慢性疾患患者に対しては、看護人・家族への代理薬剤処方義務が定められている。
 この代理処方可能を、地裁準備書面2で病院も認めているが 脊髄損傷治癒を主張する病院は、本人診察に応じなければ処方を拒否したままである。
 脊髄損傷治癒診断している病院が、本人診察を要求して、診察後に脊髄損傷用薬剤を処方するものだろうか。
 患者退院後、診断書問題が発覚するまでの2箇月間、髄損傷用薬剤が何の問題も無く処方されていたのに、患者が脊髄損傷治癒を認めるよう要求した病院が、脅迫・強要手段手段として薬剤処方を拒否しているにも関わらず、代理処方拒否まで認めてしまう裁判官の判断根拠が、全く不明である。
 正しいと認めた診断書の総合所見には、脊髄損傷による痺れ・マヒ・疼痛があると明記しているのだから、患者の薬剤処方要求が不当であるとは思われない。

 脊髄損傷をリハビリで治癒させたという病院主張を聞いて、保険会社から治療再開を勧められたが、病院は患者の転医希望を無視した。
 脊髄損傷をリハビリで治癒させたと主張する病院のリハビリ治療内容については、相当の疑いがある。
 患者らの保険治療期間上限は、まだ2箇月間以上の余裕があり、治療再開により症状改善の余地は十分あった。
 然るに、病院は他病院に転医させれば、誤治療・誤診断を隠蔽出来ないので、転医のための紹介状を交付すると約束しながら、転医を拒否した。
 この理由について、病院は「本人診察後に交付するつもりだったが、本人が診察を拒否したので交付しなかっただけ」と主張したので、根拠を示して、本人診察拒否を否定した。
 その経緯より、問題は裁判官の判断である。
 複数の保険会社、福祉課、函館西警察が転医を勧め、患者が転医を希望し、該病院も患者が本人診察に応じれば転医させたと言っているのに、裁判官のみが「本件で病院に転医義務は無かった」旨認定したのである。
 病院の脊髄損傷治癒診断に逆らった患者が悪いと思い込んでしまっていたから、脊髄損傷治癒診断するような医師の診療を拒否する患者の転医希望は、患者固有の権利であるという概念が忘れられていた。


 結論として、病院の脊髄損傷治癒診断が虚偽であると理解出来れば、全ての判断が覆る。
 地裁裁判官が、証拠の診断書総合所見に、病院自ら脊髄損傷の後遺障害を記載している事に、患者が訴状に記載していても気付かずに、国際的医学常識に反して、脊髄損傷治癒判決したこと、高裁裁判官らも診断書を確認することもせずに、診断書の総合所見と診断意見が矛楯する事に気付かずに脊髄損傷不治の医学常識を無視したこと、最高裁裁判官らも矛楯する診断書記載を無視した原判決を支持したこと、MRI診断された脊髄損傷は全て後遺障害が認定されているという判例違反を無視して上告棄却したために、診断確定した脊髄損傷がリハビリにより治癒したと認定した世界初の症例を判決で認めた不当裁判を判例として残してしまったことになる。
 自分が裁判官なら、本当に恥ずかしい思いになるだろうが、裁判官にはその様な良心は不要なのだろう。